「親密な関係性」には「何も求めない」のがいいんじゃないか。「何も求めず、今まで通り分かり合えない前提で、目の前にいる人をそのまま見て、おもしろがり、愛おしく思えるものを見つけていくこと」だと。
「自力本願、他力サンキュー」
わたしが「この人はきれいだなあ」と感じる人は、自分をいきいきとさせている人です。そういう人たちは、自分がどうあると快適でのびのびいられるかを、自分自身がよく知っています。
「ないものねだり」の反対は「あるものよろこび」
「あなたにはこんな花やこんな種があるじゃない」
そう教えてくれるのは、やっぱりいつだって他人です。その言葉を素直に受け入れられる、やわらかな土壌を持っていたいものです。
「真に存在するものは過去でも未来でもなく、ただ現在だけである」
現在の中でしか、人は認知すること、つまり存在することができません。「過去」は自分が「今」思い出している記憶であるし、「未来」は自分が「今」予測している想像です。それならば、今の私が「今」幸せを享受できなければ、いったいいつ私は幸せになれるんでしょう?
その答えは「いつまでたっても幸せになれない」。
逆に言えば、「今幸せだと感じ続けることができれば、私はずっと幸せ」なのです。
四月のキラキラした「はじまり」の感じ、やる気が溢れる感じは、私もちょっと苦手です。特別感はいらないから、なるべくいつも常温でいさせてほしい、と願っています。
「生きなくたっていいじゃない、暮らせば。」
不快な場所や、自分を大事に扱わない人といてガマンすることが「がんばっている」と評価されることはありません。ガマンポイントは、溜まっても何かいいものとは交換されなくて、どちらかというと溜まったものが爆発する恐れがあります。
同じがんばるなら、不快な場所や人から離れる努力をしたり、快適な場所がどんな場所か考えたらいいと思います。
「どんなことも 消えない小さな痛みも 雲の上で笑って観られるように どうせなら作れ作れ 目の前の景色を」
自分と他者(自分以外のもの)は、両者を行ったり来たり繰り返しながらわかっていくものです。
好きなものをたくさん見て、よく知って、いろんな角度から見ていいところを見つけたり、自分だけの楽しみ方を発見したりすると、とてもうれしいです。
好きなものに時間を使うのは幸せです。
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そもそも交換日記
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桜林さんと土門さんの言葉たちに励まされた。